経験について
「お子様連れヨガ」のクラスを初めてやる機会をくれた同僚は、人事のスペシャリストでやんちゃ盛りの男の子の母、またたくさんの部下をも育てるバイタリティ溢れる女性。声をかけてもらって嬉しく思いつつ、私は様々なリスク回避の発言をしていた。
キッズヨガの経験がないこと、
妊婦はいるか?(マタニティヨガの専門トレーニングをまだ受けていないこと)、
てゆーかわたし出産経験もないし・・・
って具合に、「経験がないからちょっと自信がない(でもやる気はある)」ことを大いに話した。同僚は「うんうん」とひと通り話を聞いたあと、「そんなに経験って大事かな?」と聞いてきた。
「経験しちゃったら『知ってるわかってる、やった、終わった』ってそこで学びが止まるかもじゃん?ヨガに限らず、経験がジャマをすることだってあるでしょ?」と。
本当に経験「だけ」が大事で、それに勝るものがないのなら、お医者さんはみんな患者さんと同じ病気を患ってから治療するの?なわけないじゃん?と。
・・・ズガーーーーン!
あたまブン殴られた。
まっすぐでごもっともな意見が胸につき刺さった。
「未経験や未熟さは知識と想像力と創意工夫とで補って、経験以上の価値を提供すればいいじゃん。少なくともその努力はできるでしょ?いっぱい勉強して努力してんだからできるでしょ?経験さえすりゃ万事OK!ってもんでもないんでしょ?てゆーか私がアナタ(私=オタフク子)にお願いしたいって言ってんだからそれでいいじゃん。」と。
うう・・・さすが人事のスペシャリスト・・・キャリアカウンセリングのプロ・・・言うよねぇ~乗せるよねぇ~。グサッと鋭く、有り難い意見を光栄に真摯に受け止めながら私はもう、とにかくとっても自分が恥ずかしくてたまらなかった。
そう、私がかけた保険は「経験がないからちょっと自信がない」に加えてさらに、「だからもし失敗しても大目に見てね」っていうただの甘えだった。
ヨガの指導経験はあるわけだし、これまで培った知識や経験も(それなりに)ある。それらを未経験のこと(お子様連れクラス)に生かす「クリエイションスキル」に実は自信がないのであって、それを「経験がないことだけ」が問題かのようにすりかえて、傷つかないように言い訳をしてたんだよね。
いやいやいやどんだけ甘くて弱いんだ私は・・・今となっては思い返すのも恥ずかしい、ここに書いちゃって一層カッコ悪いやれやれトホホな話。
同僚にも、「仕事の時の攻めの姿勢と大違いだなおいw」とからかわれた。レッドオーシャンに後発参入するベンチャーがいきなり経験のなさを嘆くなよ!ってゆーね。。
そしてこの少し後、東京造形大学の学長による2013年度の入学式式辞が話題になり、その内容がジャストミートしたこともあってより印象深い出来事になった。
「経験という牢屋」って言葉が印象的なスピーチで、私は「経験の有無」だけに囚われてしまい、「生かすべき時に生かしてこそのもの!」って視点が完全に抜け落ちていた。「不足」にばかり目が行って、自信のなさを「不足」だけのせいにした。「あるもの・持ってるもの」を生かすスキルや思いや情熱が空回りしてたってオチなんだよねー。目の前の相手や現象・状況を見ず、「知識と創造」を手放すところだった。
しなやかな勇気で挑戦したいなー自然体でいたいなー。
日々これ勉強ですわー。
※そんなことを考えたスピーチ(素敵です)→2013年度入学式、諏訪学長による式辞
※今回備忘録としてにエントリーするきっかけとなった師匠ケイコ先生のLA便り(2013年7月1日現在、先生はヨガ研修で渡米中) →「セカンドチャンス」