答えをくれる先生より
高校生の頃しょっちゅう学校をサボっては図書館のおじさん(たぶんリファレンスサービスの人)にどーしょーもない愚痴をグチグチ言っていた。
青い青い女子高生。早熟でバカで無知でヘリクツの多い手の焼けるお年頃のわたしに、おじさんはあまりアレコレ言わず「せっかくの進学校なんだから勉強せんといかんよ」とだけ。
実際はサボリ過ぎて完全に落ちこぼれてただけなんだけど、「先生もアホやし授業もつまらんしダルイし勉強なんて意味ないし」みたいな身勝手でしょーもないことばかりブーたれるわたしにおじさんが言った
答えをくれる先生より、「なぜ?」をくれる先生をみつけなさい
この言葉はなぜかとてもよく覚えていて、時々反芻しながら持ち続けてきた。
社会にでて様々な経験をし、いろんな人たちにもまれる中で「なぜ?」をくれる素晴らしい存在とたくさん出会った。本や映画や音楽や絵画の中、時に自然の中にも「なぜ?」をくれる存在は現れ、わたしに「自分で感じ、その感覚を言葉に置き換え、自分の頭で考える機会」を与えてくれた。
・答えを「知ること」にさほど価値はなく
・「手軽に求めた答え」はあまり応用がきかず
・「答えはない」ことすらたくさんあり
・答えは「不変ではない」
何かの本で読んだ「ひとつの事実が明るみになり、光に照らしだされると同時にそれは影を映し出す」という言葉を身をもって経験する日々(ちなみに書いてある本は忘れました・・・好きな言葉なんだけど)。
あの時のおじさん、大切な言葉をありがとう。
★otafukuyogaの最新クラススケジュールはコチラ→