モロッコ旅行記③ 砂漠へ
フェズから砂漠へはアトラス山脈を超えるんだけど、数年ぶりの寒波の影響で大雪が降り、前日まで山越えルートは閉鎖。私たちはギリギリで閉鎖解除されたお陰で足止めされず、無事にアトラス山を越えることができた。アフリカには最高峰キリマンジャロがあるわけで、雪を抱く山があるのはもちろんわかってるんだけど、まさか北アフリカでこんな雪景色を見るとは思わなかった。夜にようやく砂漠の入り口の街エルフードに到着。翌日いよいよ憧れのサハラ砂漠へ!夜明け前に出発し砂漠の街メルズーガへ。街灯なんてのはおろか、なんの目印もない砂地の大地を4WDで駆けてくと、たくさんのラクダたちが待機してました!か、かわいい~~!「砂漠の船」と呼ばれるラクダは、砂地で足もとをとられやすい砂漠において重要な相棒。隊列を作ってベルベルの民に導かれて日の出スポットへキャラバン!
けして乗り心地は良いとは言えないけれど、そもそも砂漠はまっ平ではなく大小のこぶこぶがあり、かつ地味に上り下りが続く。そんな歩きづらい砂の大地を一歩一歩と一体となって進んでいくのは本当に感動もの。
「移動手段として生きた動物に乗る」という経験じたい初めてだったので、キブンは完全に遥か昔のペルシャ商人に。ペルシャ商人、なかなか内転筋や腸腰筋が鍛えられたんじゃなかろうか・・・乗馬する人なら当たり前の筋肉運動ですら新鮮!
月の砂漠をラクダとキャラバン・・・こんなロマンがあっていいのかー?!とアドレナリン大放出でした。なぜか「砂漠はいつも三日月」と幼少時から思い込んでたんだけど、ほら、やっぱりちゃんと三日月だった!やがて息を飲む日の出の瞬間が静かに訪れ空気を、景色を、世界を一変させる力強い日の出。ただ太陽が昇るだけの現象に心が震える。砂漠の地で月や星や太陽がどうして重要視されるのか。果てしない営みの中で淡々ときっかり繰り返される天体の動きに神を見つけるのはどうしてなのか。何もない、何の音もしない、何の匂いもしない、 隊列を組んで人を運ぶのは10歳までのオスのラクダだけだと、ベルベル人のガイドさんが教えてくれたベルベル人の歴史には諸説あるようだけど、およそ紀元前5千年頃からモロッコに暮らしていたらしい。
どこに住んでるの?どこに帰るの?と聞くと「アッチのほう」と指差し教えてくれた。もちろん何もない。ひと仕事終えたラクダとベルベル人の一行は、どこからともなくやって来て、どことも知れない方角に向かって淡々と歩きだし、やがて見えなくなった。
どこから来てどこに帰ったんだろう?わたしはどっから来たんだっけ?わたしが営む「あのいつもの人生」の裏側にいったいどれほどの知らない世界があるんだろう?シャウエンは青かったけど砂漠は橙色(この2枚は友人の良いカメラで撮影したけど加工やモード切替なし、肉眼で見た色合いはこの2枚が近いので掲載)あの強烈な色彩をわたしは一生忘れない
正直、2か月以上経って記録を残してるいま時点でも「あの時間はなんだったんだろう」と思う。砂漠で体験したあの時間はわたしの人生に起きた出来事だっけ?的な。
旅行は大なり小なりそーゆーキブンをもよおしがちだけど、それでもこんなに現実感を伴わない感じってあまりない。いま、この瞬間も、あの大地はたしかに在るはずなんだけどまるで現実感がない。
東京の空の下でパソコンに向かうこのわたしの現実空間と隔たりがあり過ぎて。世界は広い!といえばそれまでなんだけど、物理的な距離や文化的な違いがもたらす「遠さ、果てしなさ」だけでなく、何か果てしない夢のような。
憧れ続けた砂漠、今回はただただ「ドアをちょっと開けてみた」感しかなく、いったい何が何やら?のうちに過ぎ去ってしまった。呆気にとられてるうちに終わった。
砂漠にハマる人がいるって聞くけれど、なるほどこれはやばいな・・・完璧ハマったな・・・と思う。次の砂漠はぜったいキャンプ!できれば2泊したい。
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