セルフ・ハンディキャッピング

 

「セルフ・ハンディキャッピング」って言葉を臨床心理士の方から教えてもらった。

 

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セルフ・ハンディキャッピング(Self-handicapping)」とは、自分の失敗を外的条件に求め、成功を内的条件に求めるための機会を増すような行動や行為の選択のことを指す概念。「自分自身にハンディキャップを付けること」の意味。【Wiki】

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これ心理学用語なんだけど、要するに「ぜんぜん試験勉強してないわー」とか、「体調イマイチだからダメかもー」って予防線をはること。私も以前書いたように、無意識的につい自己防衛をしてしまう。

 

「私にはハンディがあるのだ!」って事前に宣言しておけば、結果に対するハードルを自他共に下げられて、悪い結果でもプライドが傷つかないですむもんね。

 

幸い良い結果がでたならば、「ハンディがあるのにすごい!」って加点されてラッキー!つまりどっちに転んでもお得な策!

 

 

・・・って、ほんとにそうなんだっけ?

 

「むちゃくちゃ努力をしても失敗するかも」「望んだ結果が得られないかも」「怖いイヤだ不安だ」「かっこワル」・・・そういった、『ありのままの自分の姿・能力・実力に対峙すること』からビビって逃げまくって、常に安全地帯で自己愛を守り続けると、先々どうなるんでしょうね??

 

「オレはまだ本気だしてないだけ!」とずーっと言い続けて挫折や恐怖や失望を回避できるから、それはそれでイイかもしれない。

 

でもそうやって自己にハンディを課すうちに、「努力しきれないこと(努力しきらないこと)」がクセになり、いざって時に本当に努力ができなくなるのは困る。

 

安全地帯から一歩踏み出し現実と向き合い、受け容れ、立ち直り、本当の努力をすることで圧倒的な幸福感、充足感、達成感が得られるのかもしれない。必死に守ってきたプライドとか実はどーでもいいことだと、実は幻想(マーヤー)だと、気付くかもしれない。


私は日々、ヨガを通してそれらに気付く。自分と向き合う時間が客観性を養い、あるがままの自分を受け入れる準備が整う(自分を知っていくことは時々辛く怖いけれど…)。

 

自己愛も、自尊心を持つことも、自己防衛もモチロン大事。

 

けれど、セルフ・ハンディキャップが過剰になり、つい無意識的にやり、はたまた「相手を持ち上げることで相対的に自分のハードルを下げる」って策までくりだしてプライドを守り、不安や恐怖から逃げ続けた結果自分を損なってしまう・・・なんてことにならないように気を付けたいなと思った。