インド2014、マナリ編

 

「インドには3つの季節がある・・・HOT、HOTTER、HOTTESTだ!」ってのは必ずインドで聞かされるネタなんだけど、今回はほんとに身に沁みて暑かった。

 

宮崎育ちの私は比較的暑さは得意なんだけど、もうぜんっぜんレベルが違った・・・息を吸うのがツライ・・・鼻が痛い、日焼けに注意とかってレベルじゃなくヤケドのように皮膚が焼けて痛い・・・サングラスをしないと目も痛い。

 

アツイってゆーかもう、アツ痛い!

 

そんな気温47度にまで達したデリーから、車でいっきに北へ約550キロ。2日間かけてパキスタンチベットの国境近くのマナリという街にあるヨーガ・ニケタンの道場アシュラム)へ。

 

 

 

マナリのヨーガ・ニケタン・アシュラム。

 

 

ヨーガ・ニケタンはスワミ・ヨーゲシヴァラナンダ大師の関連道場で、マナリの他にリシケシ、デリー、バンガロールにも道場がある(リシケシの道場が有名かな)。

 

マナリ・ニケタンの庭からの眺め。

遠くに雪山が見えますね?

 

ここはすでに海抜2000メートル以上の地で、私は見事に高山病の症状がでて、ずっと頭痛、頭重があり、到着直後は少し早歩きするだけで心臓がバクバクした。

 

むちゃくちゃ暑いデリーからこのマナリを経由し、さらに北上してヒマラヤの麓へ。

 今度はダウンとかフリースとか着こんで。

 

ここに至るまでのドライビング事情は、もう思い出すのも恐ろしい険しさ。

 

片側が崖の(マジで崖っぷちの)狭くクネクネの山道をビュンビュン走行中、急カーブで対向車と正面衝突しそうになり、それをよけたらあと数センチで崖下一直線・・・

 

!!!(こーゆー時って声でないです、ほんと)

 

思い出すのもしんどい(2度とゴメンだ)瞬間が何度かあってホントに怖かった。

 

そんなふうに高度を上げながらクネクネ道を無茶な運転されるもんだから、もうずーーーーーーーーっと車酔い。素晴らしい景色が広がって目に飛び込んでくるんだけど、気持ち悪さと荒々しい運転の恐怖ですでにもう充分な苦行。

 

なんとか到着した安堵と吐き気、でも嬉しい!素晴らしい!・・・

 

いやでもお腹が調子悪いわ!・・・え、トイレないの?外なの?ここでしろと??じゃあするけどっっっ!!!!(ヤケ)ってもうワケのわからないテンションとコンディションのまま人生で最も高みへ到達した私。

 

妙にハイで、でも身体はまったく言うことをきかず、重たさとフワフワする感覚が入り混じった不思議な感じを味わった。 

 

ものすごーーくスローな動きで写した写真(ナニやりたいんだかサッパリ不明)。

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どっこいせー(なんのアーサナでもありません)。

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時間が経つとだんだん慣れてきて、この後は軽めのアーサナと呼吸法、瞑想をやったんだけど、それは本当に素晴らしい体験だった。

 

遮るものが何もない、景色も空気も気圧もいつもと違う。自然は厳しいと言うけれど、ここにはそれしかない。厳しさしかない。風の音しかしない。太陽がとても近い。

 

半眼から見るこの景色、ここは一体どこなのか。どこからが私の肉体で、どこからが取り巻く物質なのか。

 

自分の重力がうまく感じられず、自分の境界(肉体の境界)がうまく感じられず、意識がフワフワ広がって溶け出して曖昧になって、漂うその感覚が少し怖くもなった。

 

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そんなこんなでまたクネクネと順調に車酔いをしながら下山し、再びマナリのニケタン道場へ。

 

このマナリの道場は女性のグルジで(マタジと呼ぶ、男性はマハラジ)、アルナ師、ラリタ師という姉妹。70歳くらいと伺ったんだけど、とても若々しく溌剌として見える。

 

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2人は10代の頃に同じ夢を見て、その夢のお告げに導かれてヒマラヤの行者に弟子入りし、ヨガの探求に進まれたとのこと。女性の行者というのが認知されない中で、10代の女の子が突然ヒマラヤでヨガ行者になるべく出家すると言いだしたため、ご家族はとても心配して反対したらしい。

 

けれど、もう邂逅としか言いようがない不思議な導きやご縁があり彼女たちはヨーガの道を歩み、何十年も修行をし、こうして私たちを指導してくださっている(滞在中はアーサナ、プラナヤーマ、哲学を教えて頂いた)。

 

また今回私はお2人から聖名(ヨガを探求する者が授かる個別の修行名)を拝受した。

 

授かる者は断食をして備え、アグニホトラ(聖名拝受火祭)を行い、マントラを唱え、神から授かった個々の資質や能力、やるべき行為といったものを加味した聖名を授かる(周りの人もそれぞれいろんな名前を授かっていた)。

 

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私が授かったヨガ名。

 

私の中に、あなたの中に、周りの人たちの中に、万物の中に宿る善性(サトヴィックなもの)を見出し愛でるために、私は内側の眼を開かなければいけない。客観性を高め、本質を見抜かなければならない。

 

一見してわからなかったり、気付きにくかったり、ひっそりしてて見出されにくいけれど確かに存在する誰の中にもキラキラ輝く善性を(吉兆を、幸運を、長所を、グッドニュースを)この眼で見て確かめてすくいとること・・・まるでそれは、私の思いや方針や「ありたい姿」を知った上で付けられた名前のよう。

 

これって偶然?かどうかはわからないけれど(というか、いただいた名前に圧倒されて完全に気圧されてるけれど)、有り難く受け止め精進しようと思う。