2014年7月11日の備忘録

 

台風やら猛暑やら満月やらいろいろやってきた先週、友人がこの世を去った。

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金曜日の突然の訃報。ピンとこないし現実感もなくて。その知らせと日常は(予定や仕事やなんやかんやは)混じり合わず、事実なんだろうけどフィクションみたいで。でも事実らしくて。

 

ケイコ先生のクラスではどんどんカラダが重く感じ、鈍く暗くなってくる感じがした。ぼんやりしてて巡る感じがせず、でもふわふわ拡散していく感じもある。

 

クラスが進むうちに動悸がしてきて、途中からアーサナを緩めた。手を抜いた。「いつもと違う」ということをカラダが伝えていた。

 

寝不足とか体調不良とはまた違った感じ。気圧の変化や月の満ち欠けといった自然現象やホルモンバランス(生理周期)の影響でもなく、わたしの感情が、気持ちが、気分が、思いが、カラダを固く閉ざしていた。

 

なんかしんどい。

 

他の生徒さんが仰向けでガッと胸を開くポーズをする中、わたしはケイコ先生に相談して前屈のバリエーションを指示してもらった。先生は「お腹にサポートを入れるように」と、股関節も緩めるリストラティブのポーズで休ませてもらった。

 

じっとしてるとカラダが少しずつほどけていく。カラダがほどけると心もほどけてくる。カラダと心が緩むと気が緩んで、一番とりたい行動を取ろうとしてしまう。

 

猛烈に涙がこみ上げる。吐き気にも似てる。呼吸が早まる。昨日旅立った友人を想う。激しい感情が押し寄せて耳鳴りがする。カラダが熱い。わたしは泣きたいんだ、と理解する。

 

「なんで?嘘でしょ?」

 

涙やらヘンな汗やら鼻水やらでタオルがグショグショになる。グッとこらえると横隔膜がキュウッと固く震える。

 

「顔がグチャグチャだなーエアコン止めたんだ暑いなートイレ行こうかなー」

「本当に?死ぬとかなに?なんで勝手にいなくなってるの?」

 

散漫な思考で頭の中がうるさくなる。混乱してる、と観察する自分もいる。深いため息で号泣を押し殺すと飛行機の離陸時のような重力がかかる。

 

心を強く持って理性で感情をコントロールしようとすればするほど、カラダが「思うぞんぶん泣きたい。緩めて欲しい。」とサインを送ってくる。そのサインをひたすら認識していく。じっと静かに。

 

こーゆーことを無視して、力づくで抑圧し過ぎた思考や感情はどこに向かうのか。怒りや悲しみや弱さを我慢して抑えこむとどうなるのか。

 

わたしは「恥ずかしい」「かっこ悪い」と抑え込むことが多い(人前で泣くのは恥ずかしい、感情をあらわにするのはカッコ悪い、)。

 

それらはふとした拍子に思いがけず、肉体の痛みや、行動となって表出する。理由のわからない痛みや止められない行為、行動として。

 

我慢強く理性で感情をコントロールできる強さに憧れがあり、ぜひそうありたいと思っている。けれど、「やり過ぎなくていい」ってことをヨガから学んだ。ヨガを通してバランスをとることができるようになった。

 

たとえ顕在化していない、心あたりのない抑圧であってもカラダは小さく声をあげているから、そのささやかなサインを、反応を、状況を、状態を、冷静に客観的に受け容れていこうと思う。自分の感情に気付けてよかった。カラダのだすサインに気付けてよかった(だけど会社のデスクで泣かなくてよかった・・・)。

 

1人になったら思う存分彼を想って、その時欲する行為にOKをだそう。次に彼に会ったらこの日のことを報告しよう。極めて個人的なことをここに書くかとても迷ったけれど、彼はこれからもこのブログを読んでくれるだろうからまあいっか。

 

いつも応援してくれてありがとう。たくさんのくだらない話をありがとう。またね。