長く素晴らしいお別れ
地元宮崎のシェラトングランデ・オーシャンリゾートホテル(シーガイア)では毎月、満月の数日間に43階の客室を無料開放する「月の道」というイベントをやってる。
月の出の30分から1時間のあいだに現れる幻想的な海の道。
これはプロの写真ね。
こっちは携帯で撮影したもの。
月の出からだいぶ経ってるので、海の道はわかりにくいかな?
今回たまたま宮崎に居て、初めて「海の道」を鑑賞したんだけど、真っ暗な360度オーシャンビューの客室から眺める月と海は美しく恐ろしく、素晴らしかった。
たまたま宮崎に居たのは、この数日前に父が亡くなったから。
今から26年前(父50歳、わたし14歳)の12月、父は脳溢血で倒れた。一命をとりとめた父は、兄達もまだ大学生と高校生で、私も中学生だったため、懸命にリハビリに励みながら定年まで勤めあげた。
西郷どんを崇拝する薩摩隼人で、口数が少なく穏やかでとにかく優しい父だった。超絶に悪フザケが過ぎる我が家において、左半身に障害(麻痺)が残った父はよくネタにされた(ひどい話だw)。
「お父さーん牛乳もってきて~」
「お父さーんモスバーガー買ってきて~~」
→不自由な父をアゴで使おうとする娘のわたし
「よし、じゃんけんで買ったらね!」
→と言いつつ父にモノを渡す、左手が不自由な父は右手でモノを受け取る
→父の空いてる左手は麻痺でグーしか出せない、わたしパーだして100%勝つw
身内以外はドン引きするような父の病気イジリ(ネタ)が我が家流のユーモアとして在り、父もニコニコ笑ったりツッコんだり。病は不幸だけどしょーがない、と。
そんな日々が続いてたんだけど、今から10年前に今度は脳梗塞を起こして入院。以降は長い闘病生活が続き、徐々に容態は悪化し、様々な機能が停止し、父は指いっぽん動かせなくなり、やがてコミュニケーションすらできない状態になり、それが何年も続き、ついに自宅に戻ることなく2014年12月4日に亡くなった。
息を引き取ったことは突然だったけど、わたし達家族はまったく覚悟がなかったわけではない。私たち家族は何年もかけて、緩やかに、穏やかに、静かに、この状態を受け入れ、ある意味あきらめ、認め、過ごしてきた。
だから、「おつかれさま」というのが正直な気持ちだった。父は不自由な肉体をようやく返却し、自由を満喫できるようになったんだな、と。
愛と悲しみと涙と笑いと不謹慎さと、たくさんの感謝が詰まったお別れのお祭りをやった。ご飯食べてお酒飲んで、父の遺体をなでくりまわして泣いて笑った。食べて飲んでフザけて泣いて、父の骨を拾った。
「人ってちゃんと死ぬんだなぁ」と何度も思った。
この何年も帰省の度に、意思疎通ができず肉体をコントロールできなくなった父が横たわるベッドを見舞いながら、いつもいつも、「これってどーゆーことなんだろう?」と思っていた。
父の意識、父の思考、父の魂、父の精神、父の肉体・・・どーなってるの?父はどう思ってるんだろう、どうしたいんだろう、これってずっとこのままなの?どーしてこーゆーことが起こるの?因果応報というのなら、一体何のカルマなの?
わからないことばかり。いつもいつも答えを探していた。そして今回、唐突に父は旅立った。ちゃんとこの世を終えて旅立っていった。
やがては母も、兄たちも、親戚のおじちゃんおばちゃんも、もちろん私も、知人友人、そこのあなた、どこの誰だか知らない知り合うことのない方々・・・みんな必ずちゃんと死ぬんだけど、みんなちゃんと生きて、みんなちゃんと死ねるといいなぁと思った。
って、「ちゃんとちゃんと」書きすぎてヘンな感じがしてきた・・・w
長いお別れになるけれど、素晴らしいお別れができました。
お父さんありがとう、おつかれさまでした。
これからもよろしく。
またね。
※クラスの急な休講や代行でご迷惑をおかけした方々に、あらためてお詫びとお礼を申し上げます。ありがとうございました。