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あきらめる前に飽きる

読書メモ

 

飽きるって悪いイメージがあるけど、人間が本来持つ大切な感性だと著者は言う。

 

飽きる力 (生活人新書 331)

飽きる力 (生活人新書 331)

 

◆飽きるとは「心のゆとり」に近いもの

◆飽きるとは「選択のための隙間」を開くこと

◆その「選択のための隙間」で「待つ、寝かす」といった心地悪さを許容すること

◆飽きるとは「異なる努力のモード」に気付くこと

◆飽きるとは「経験の仕方」を変えていくこと

◆飽きると「あきらめる」はちがう

◆飽きることで「努力していることへの疲れ」を防ぐ

 

 

今日はもう帰ろう(飲んじゃおう)、明日考えよう、ひと晩寝かそう・・・ といった「いったん現状に飽きてみる」ことの有効性は実感としてよくわかる。

 

一朝一夕ではどうにもならんことをすぐに「あきらめてしまう」のではなく、うまく「飽きてみる」ことで状況を打開する術を探ろう、という考え方。

 

ヨガにおいても、アーサナやプラーナヤーマ、メディテーションの習慣化(日々の練習)は良いことだけど、一心不乱に痛々しくひたすら練習&スタジオ通いづめって感じの「努力の目的化」はわりと起こりがち。

 

もしそれで心のゆとりを失い、努力に疲れてしまうくらいなら、「いまちょっと〇〇に(ヨガの練習に)飽きてる」という気づきに、感覚に、フタをしなくてもいい。

 

これからも努力を続け、その努力が「楽しむためにする努力」であるのなら、なおさらうまく「飽きる力」を取り入れよう、と。いつもと違うことをやる心のゆとりが次のステップにつながるかもしれない。

 

好きな事に飽きる

飽きを感じたら成長のチャンス

 

ま、3か月も継続しないならそもそも論外!と著者は言ってるんだけどね。同感。続かないヤツに飽きる資格ナシ。

 

「今日から〇〇をがんばるー」とか「〇〇を週に2回やるぞ」っていちいち宣言して、たくさんいいね!をもらってそれで満足・・・続かないどころか始めもしないってオチはわりによくある。薄っぺらな承認欲求を手軽に満たすのはキケンなことだね。

 

 

<「過去に生きる」ことに飽きる 102ページ>

「捨てるというかたちで自分のなかに組み込まれている」というのは言葉で言うほど簡単なことではないが、哲学も、理論も、さまざまな観点も、有効なものは忘れることによって初めて身に付く。

(中略)

ごく普通の日常生活においても、楽しかったことが、忘れられることによって自分のなかにちゃんと入ってるというような経験を作る。それはつまり、忘れるということのきっかけは、「何度も過去に生きてしまうこと」に飽きてしまうということ。その「過去に生きる」というやり方とは違うやり方で過去を活用するという「選択」が、ここに生まれているのだ。

 

「成功を忘れる」という章に続く部分。景気づけやハズミに使うのは良いけれど、いつまでも過去に囚われるのはよろしくない、と。過去に飽きることで開けてくる「今・未来」がある、と。

 

大切なのは、今の自分の置かれた状況や思考のクセ(傾向)に敏感に気付き、その先に「飽きるという感性」を有効活用しようぜ!ってこと。この「気付きが大切」ってとこはもう完全にヨガ。

 

 もともと著者が提唱するオートポイエーシスという生命システム論とやらが在り、これが精神病理学や認知神経リハビリテーションの臨床現場で治療プロセスに活用されてる・・・って話を聞き、本を読んでみたんだけどさーーーっぱりわからなかった。

 

臨床するオートポイエーシス 体験的世界の変容と再生

臨床するオートポイエーシス 体験的世界の変容と再生

 

私には難解すぎて何がなんやら・・・(泣)誰かカンタンに解説してー。

 

「飽きる力」のほうはこのオートポイエーシス構想を下敷きにしつつもまだ読みやすいので、入門書としてはおすすめ(なにに入門するんだかわからんが)。

 

また、重度の脳障害者へのリハビリ現場で行われている「認知運動療法」の実例が後半に紹介されててとても興味深い。

 

意識と身体感覚と知覚と思考と神経とに働きかける「認知(気付き)」というアプローチは、運動療法だけでなく心理療法にも活用されていて、ここにヨガとの親和性をなんとなぁーーーく感じてる今の私としては、スーパーグッドな脳ミソをGETして、もっと「認知療法」について知りたいところだなあ。

 

 

 

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