銭湯で「加齢」について考えた

 

わたしは10代から銭湯や温泉やスパといった

入浴施設のベテランなんですが、

 

先日、番台のあるド昭和な銭湯で、

やってきた常連ぽいお婆さんに

番台のオバチャンが

 

「いま〇〇さん来てるわよ」

と声をかけました。

 

常連婆:え~やあねえ・・・(あからさまな不満)

番台オバ:まだかかるわね

常連婆:こないだも□?&=@#で・・・(なんか文句)

番台オバ:うんうん

常連婆:はっきり言おうかしらもう(戦意)

番台オバ:まあ今日はいいんじゃない

常連婆:じゃあもうちょっとしてから出直すわ

 

といって帰ってしまいました。

 

わざわざ出直すんだ・・・

お風呂もガマンできないモメ事って?

 

とか思ってたんですが、

でも、

 

裸の付き合いをした上でなおモメるってのは

相当ウマがあわないんだろうし

 

水場でハダカで一触即発とか

湯船で過激な舌戦!とか

そんな戦闘モードは銭湯だけに危険だし

 

これはまあ番台のおばちゃんナイス采配!

グッジョブ!なんだろうな~と思いました。

 

で、湯船につかってると

 

「あなた!かけ湯した?」

「髪がたれてるキチンとまとめて!」

「マナーないわね」

「週末はダメな客が多いわ」

 

というふうに

キレながらエチケット指導をする

お婆さんがいました。

 

また、混んでるのに場所取りをする人、

スネ毛剃りといったNG行為者もいて、

 

これがもう揃いも揃って

高齢者らがやらかしよるわけです。

偏見ではなく、事実として。

 

負の「お風呂あるある」ではあるんだけど

これってなんなんだろう?と

長風呂でヒマなわたしは考えました。

 

親をはじめ、お年寄りに対して

「子供なの!?」と思うこと、割とあります。

 

周りに配慮しないで大声で喋るとか、

相手の気持ちを考えない発言をするとか、

食事がでるのがちょっと遅いだけで文句言うとか、

自分で確認せず人を捕まえて延々質問し続けるとか、

列の割り込みとか、

 

とかとかとか。

 

耳が遠いとか老眼だとかの

身体上の問題の有無はちょっと置いといてですが、

 

要するに、

 

ワガママになったり、

こらえ性がなくなったり、

ガマンができなくなったり、

他人に対する配慮がなかったり、

 

これってどういうことなんだろう?と。

 

年を取ると丸くなったり成熟したり、

「加齢=人間の出来は右肩上がり」

じゃなかったの?と。

 

もちろんもともとそーゆー性格ってことも

あるだろうけど。

 

思うに、

 

わたし達は思春期とゆー

「他人を気にしまくる季節」あたりから、

 

正しいかどうか

イケてるかどうか

恥ずかしくないかどうか

カッコ悪くないかどうか

 

といった他人視点に立ち、

元来の性分を検分した上で

自主規制の鬼コーチを心に宿す。

 

鬼コーチは自分にはもちろん

他人(まずは身近な大人である親から)にも厳しくて、

 

そのコーチっぷりはある程度の年代までは

奏功するんだと思う。

 

わたしは10代の頃しょっちゅう母に

「正しいこと」を押し付けてました。

母が「まあそんくらいイイじゃんよ」と

手抜きとかおサボリとかをしたがると

 

「それは人間として正しくない!」とか

めんどくせーことを言うておったw

母よすまない・・・いやほんとに・・・

 

青年期や壮年期にかけては

どんな自主規制コーチを宿すか?と社会性が相まって

「大勢の中の自分」という視点で行動できるんだけど

 

だんだんお年寄りに近づくにつれ

もう鬼コーチの言うことが

きけなくなるんじゃないかと。

 

だりーな!と

うるせーな!と

 

老い先短いのにガチの自主規制なんか

やってられっか!とばかりに。ま、想像ですが。

 

よってもともとの個性や人間性がまた際立ってくる・・・

そーゆー仕組みなのかもしれないな、と。

 

年を取ると丸くなる、というのも

年を取ると頑固になる、というのも

 

つまりは「ちゃんとせよ!俺もオマエも!」の規制が

「まあもうええやんか」と緩和したものなんじゃ

なかろうか。

 

規制を解くと「本来の性分」が

ドッパーンと解放されるんだけど、

 

母親を見て思うのは

「こーゆー女性だったのね」という気持ち。

 

不安屋で怖がりなのにわざと強がる天邪鬼。

つい余計なコトを言って、その度にくよくよ。

 

彼女に対し「親」という役割のみを押し付けてた頃には

まったく見えなかったけど

 

「ひとりの人間の加齢という変化」と思うと、

その際立ちはじめた性分もなんとも憎めない。

「お母さんってばまったくも~(苦笑)」って具合に。

 

わたしもアナタも、親も兄弟も、人は等しく加齢し、

加齢という「初めての変化」を経験する。

 

わたしはいま、はじめての43歳を過ごし、

半年もすれば初めての44歳を迎える。

 

つまりみんな年を取るのは初心者。

 

いつかわたしも自主規制緩和をし

めちゃくちゃユルあまモードの高齢期に突入し、

「憎めない」どころじゃないお年寄りになる可能性は

充分あるわけです。いやほんとに。。

 

社会生活しなくなる(付き合いが小さく狭くなる)から

自主規制は緩和されるのか?

 

自主規制を緩和するから

社会生活を送れなくなるのか?

 

このニワタマ論は決着つけようがないんだけど

いずれにせよ、

属するコミュニティを狭くしたり、少なくしたり

しないほうが規制し続けられそうな気はする。

 「人の中で生きよ」ってやつですかね。

 

規制が効かない様子を咎めたり嘆いたりばかりせず

キリキリせずユーモアをもって

「自分と他者の加齢」を受け入れたいな~

と思った銭湯ネタであーーーーーーる!

 

【参考】加齢という変化を綴ったエッセイ↓

わたしの容れもの

わたしの容れもの

 

 

 

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